私は兄弟の中の末っ子で生まれた。
年の離れた姉と兄がいた。
私が幼かった時から、姉や兄は中学生、高校生の年齢だった。
勉強している姉や兄は、「台所から飲み物持って来て」とか「◯◯買って来て」など近くにいる私に何かあると頼んできた。
喜んでもらうとうれしくて、「わかった」とはりきって動いた。
次第に喜んでもらえるには何をしたらいいか?
と自分から考えるようになって、
何かを作って持っていったり、絵や手紙を書いたりした。
幼い頃からの経験は身に付くと言われている。
今仕事として子ども達に学習指導をしているが、
その気持ちは何ら変わらない。
その子にとって、自分は何ができるか、
何を求められているか
できることがあれば何でもやってみよう、
それだけだ。
時折いっぱいいっぱいになることもあるが
時間と共に落ち着いてくる。
その気持ちは伝わってその子なりに持った力が伸びてくる。
教えるというのは、学習内容やテクニックはもちろんだけれど、
「心」を伝えることなのではないかと感じてきた。
勉強というと学力を伸ばすことに重点が置かれ、
ともすると圧力や否定、指図を繰り返すことになる。
そういった学習は一時的には伸びるかもしれないが、
長い人生を考えたら
必ずマイナスになると思う。
子どもはすさんだ気持ちで学び続けることはできない。
やる気になれば驚く程勉強を始める。
現に学生の時勉強が嫌いだった人も、
年齢を重ね社会にでて自由になった後、
自らお金を払って教育を受ける人も少なくない。
学びたい、知りたいと思うのはもともとの人間の本質だ。
本当に学ぶこととはどういうことか、まずは保護者も考えてみる必要があるかもしれない。
塾の営業的な子どもの否定を受け入れてはいけないと思う。
自分の子は親が最高の理解者であるべきではないか。
「大丈夫、あなたのお子さんはすばらしい。だってあなたの子だから。」
その言葉を常に持ち続けて私は進んでいきたいと考えている。