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花みち元気塾通信 2020年1月号「教育について考えるとき」-親としての思いが重なって-

 花まるグループの受験部門、スクールFCでの「スーパー算数」が復活するそうです。
それを知り懐かしいと思うと共に、私は「子どもの進む道」についてどう考えて来たのか、振り返る感覚を持ちました。
それは講演会で受験について話しているうちに自分自身で深く考えることになったテーマでもあります。

 今大学生の私の次男は花まる学習会に小学1年生から3年間通い、小4からは進学塾に通いました。

同時に、4年生と6年生のときに「スーパー算数」の授業を受けに浦和まで高速道路を使って毎週通いました。5年生の時にはどうしても学校の授業が長く間に合わなくて通えなかったのです。

 私が高濱代表自ら算数を教えるスーパー算数を受けさせたいと思ったのは、希望の学校に合格するためだけではなく、算数を通して物の考え方を学んで欲しいと思ったからです。

 次男は毎週とても楽しんで、生き生きと通いました。
 その頃の気持ちを後年になって、高濱代表の「本当に頭の良い子の育て方」の本のコメントを次男が依頼された時に書いた文が次のものです。
「スーパー算数では高濱先生の魅力に毎週昂る胸の鼓動を感じ、喜びと誇りに満ちていた。今でも前向きに頑張れるのはその時に興じていただいた教えが心の中心にあるからかもしれない。」

そして、写真はスーパー算数4年生時のノートと、それが土台となり活かされた大学受験時のノートです。

小学4年生時のノート

私の父は開業医でした。父の実家は材木業で、父は県立の商業高校に通った後、大学の医学部に入りました。
今でもその高校から医師になった人はいないと聞きます。

が、父はずっと自分自身に学歴コンプレックスを持ったままでした。
父は私の兄に国立の医学部に入ることを強い、兄も努力して国立大の医学部に入り、医師として、無医村であった与那国島に行った後に、父の後を継いで開業医となりました。
ですが父、兄の二人とも早く亡くなってしまいました。そこに至るまでには書き難い多くの状況があった訳ですが、それを見て育った私は、自分の子が医師にならない限り、父と兄が進んだ道が途絶えると考え、何とか医学部に入れたいと考えました。国立でも私立でもどこでも良いとも思いました。これを親のエゴというならそうでしょう。でもいやいやではなく、それを自ら選ぶように育てることにエネルギーを注ぎました。一浪の末、国立の医学部に合格しました。合格が決まった時は二人で抱き合って飛び跳ねました。

子どもの人生に親はどのように関わりを持っていくのが良いのか?
親の敷いたレールに子どもを乗せてはいけない、自ら選んだ人生を歩くようにさせなければいけない、そういった意見もあります。

親の思ったように進まずに、自分で道を切り拓いていく事、それはとてもすばらしいことで、エネルギーと思考力に溢れているからこそできることだと思います。

ですが、親が我が子をよく見て、自分の経験から得た指針を示すことにより、子どもが一歩を踏み出すのもまたひとつの進む道でもあるように思います。
そこから子どもが考え、試行錯誤して自分の道を自分でアレンジすることもできるのではないか。もし違ったと思えば、やり直すことになったとしても長い人生を考えたら、「あり」ではないか。
逆に親の考えとは違う道に進んだ後やはりその道に戻るのも勇気を持った決定ではないか。

そのときになって、子どもが自分自身で決めた道であるなら、親は多くの思いを心の奥にしまって、笑顔で背中を押せるのではないか。それがまた育った子に対する愛情だと私は思うのです。
答えはなかなかないのですが、多くの子達を見てきたことも含め、「今」私が考える教育への思いです。

私は子どもが生きる指針を見つけるための、その科目に特化した講師を付けたコースを作りたいと考えています。そこには子どもには自信、保護者には安心が不可欠だと思っています。スーパー算数をちょっと参考に、「ここもいいね」と思ってもらえるよう進めたいのです。

 何と花まる学習会の本社は今はありませんが私の父が生まれ育った家と同じところにあります。次男が通う大学の同級生には、教室は違いながら花まるで育った子もいます。
 私の胸には偶然でありながら、運命ってあるの?という気持ちがあります。 
 そして、そんな気持ちが子どもたちへのエネルギーにもなっているように感じています。