花みち元気通信part2 2022年2月号「知的にやんちゃな少年たれ」(森)

通信2

プログレスコース担当の森です。この度初めて本コラムを書かせていただきます。私は愛知県一宮市に生まれ、高校は愛知県立旭丘高校、そこを卒業して一年浪人生をしてから、2012年に東京大学理科一類に入学し、理学部物理学科、理学系研究科物理学専攻へと進み、昨年3月に物理学で博士(理学)を取得しました。10月より産業技術総合研究所に勤める傍ら、土曜夜に本コースを担当しております。

私が物理に興味を持つきっかけは何だったのか?というとこれは難しいものですが、ひとまずは、両親の影響が大きかったのではないかと思います。私もそうですが、物理学科の知人友人や研究室の同僚と話をしていても、物理への興味の第一歩は「宇宙」になることが多いです。

ですが、宇宙という壮大なものに触れる機会は、両親がそのようなテーマの情報を家庭内に置かない限り難しいように思います。

幼少期からテレビの科学系の番組や、科学館、そこに併設されたプラネタリウムは両親が好きで、一時期は毎週末名古屋市科学館まで足繁く通っていたものです。

ただ、やはりプロが提供するそれらのものを見るだけでは何も身につかないなというのが私の感想です。

実際、物理は他の得意科目に比べて実家の環境は恵まれていなかったと思います。物理を極めるというモチベーションは私の場合、身近なところにはなく、中学2年生の時に経験したある事件と、それらが幼少期の経験等と結合して広がるさまざまな展開の末の結果です。これについては長くなるので、今回は前提の話をしていきます。

とあるところで家庭教師をする機会があって、物理や数学が苦手だという生徒を見ていて思ったのは「大人しい」ということです。話を聞くのは下手ではない。実際、中学時代は成績が良かったといいます。

しかし、高校でうまくいかなくなったと。話を聞くだけでなんとかなる状況が終わっていたのです。この子を見てより強く実感しましたが、物理や数学も含めて、多くの学問で理解を進めていく過程というのは、やはり試行錯誤の繰り返しが必要です。理数系科目になぜそれが必要なのでしょうか。

一つの答えは、数というものがどういうものかを考えればいいでしょう。数というものは人類が作り出した表現の道具です。そして、理科、特に物理などでは数式を多用します。なぜそれを使うかというと、物理であったり、数学でも文章題を扱っていく中で感じて欲しい点ですが、数式というのは、言語表現での「文」です。

置かれている状況を把握して、それを表す文を正しく書く。そこにはじまるのです。そして、一度正しく文を書ければ、あとは数学の世界で知られた知識を使って、AならばB、BならばCなどと言わんばかりの「式変形」をして答えを見つけていくのです。式変形というのは言語を操って話を広げていくこと、といってもいいかもしれません。

言語を得意になるには使うよりほかありません。赤ちゃんが成長して一人前に言葉を操れるようになる過程では、何度でも間違いを重ねながら、しかし言葉を使わざるを得ない状況がそこにあって、その間違いを重ねる中で答えを見つけていくのです。

それは当然ながら外国語を学ぶ段階でも、そして、数学や数学を使った学問においても言えることです。間違いを重ねるというのはやんちゃに見えますが、試行錯誤を現在進行形でたくさん進めてくれていることの表れでもあります。一方で、大人しいというのは、試行錯誤をもうしていないということです。

本当にこれまでに十分に試行錯誤を重ねていて、何もかも理解した上でだとしても、試行錯誤を止めてしまったら、それ以上の成長は見込めません。勉強という面で「大人しい」というのは百害あって一利なしです。

実際、私が見てきた最上位進学校の生徒たちや東京大学の学生というのは、何かしらの意味で子どもじみた人たちです。一般社会で過去のそれらを知っている人たちからすると1960年代のそれらなどと比較してあまりにも「大人しい」ようだし、実際大胆な行動として見えやすいところでの活発さは減りましたが、ネット世界での言動や諸々の情報に対する反応の仕方などはどこの誰よりも子どもじみた人たちが上位進学校や東京大学の学生に多くいて、彼らは傍目には「不真面目」で「ふざけまくっている」人たちでしかないでしょう。

私が中学以前に想像していた世界とはまるで違った、動物園のような世界がそこには広がっていたのです。高校入学時に大きな衝撃を受けた一つの点がそこにはありました。

私にとっては、物理、地理、政治経済の3科目に相当する内容は、小学校以前から周りに比べて大きな知識的アドバンテージと、探究能力のアドバンテージがありました。物理に該当するものは、家には小学生でもある程度深い内容まで理解できる図鑑のような本があって、電気系の道具として電池やらテスターやら、モーターやら太陽電池やらがあり、それらで色々と遊んでいたものです。地理については父と祖母が車の運転が好きでさまざまなところに連れて行ってもらいましたし、その過程で地図を眺めたりする一方、また、幼稚園時代にJRの線路を跨いだ先の幼稚園に通っていたおかげで電車を眺めることが多く、鉄道図鑑等を通じて、鉄道に関連した情報を得たところから知識が広がりました。

政治経済については、鉄道や車に関連した話を知っていくことや、父親が自営業だったために経済系の講座のテープを流していたりしたことで身についた知識などを背景に、新聞の経済面を読むようになったことが積み重なったことによるものです。

ただ、鉄道を地理や政治経済の勉強につなげることができたのは、知識の網が十分に広がっていくベクトルがそちらにも十分にあったからであって、勢いがなければ、ちょっと知ったことだけで満足していれば、広げることはできなかったでしょう。知識を広げることにおいてはやんちゃな少年だったのです。

上の段落を見ると、社会系の方が展開が大きいのがわかると思います。実際、より得意な科目は社会科でした。中学校時代、2年以上にわたって1位を連続して取り、社会科担当の先生は模範解答の質を担保する目的で私の回答を一番最初に採点したといい、高校でもトップレベルの成績をとっていた科目が地理と政治経済だった私が、なぜ物理学で東大に行き、博士をとったのか。次回はその話の本題へと移っていきます。

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