「先生、授業始まるよ。」
「先生やってきた宿題ここに出しますね。」
「先生、補習zoomで毎週してください。」
「あっぼくも補習出たい、去年やったけどもう一度復習したい。」
「今日も授業最後に確認テストお願いします。」
「社会の勉強はどうやってしたらいいでしょうか?」「来週テストがあるので今日の授業はその対策お願いします。」
「この間の授業、ここがよく分からなかったので、残っていいですか?」
「〇〇くん元気ないので、家に行って様子見てきました。」
「先生、ここ片付けておくね。」
「休み時間に皆にお菓子配ってくるね。」
子どもたち、生徒たちから出た言葉の数々です。私の理想は指図、強制ではない子ども自身が考えて、自ら発する言葉です。
それが本来の学びで、これからの時代はこうした自己決定がなくては前に踏み出せないと思っています。
そして子どもの周囲の大人もそういった言葉が出せるためにはどうしたら良いかを考えていくべきなのではないでしょうか?
それが今後を担う子どもたちへの真の愛情だと思います。子どもの自ら発する言葉の数々はその子自身を惹き立たせる魅力に変わります。
そしてそういった子どもに声かけをする保護者を含めた大人自身の魅力の追求だと思うのです。子どもへの声かけひとつも自分の人としての輝きを増すものであると考えるなら、感情のままに言葉を発するのを少し待てるような気持ちがします。子どもへの接し方は自分のあり方の問題なのではと感じます。
そこには今日何をするか、何を食べるか、など日常のことから、受験をする、しない、進路をどうするか、どんな職業にするか、どう自分の人生を終えるかなど多くの選択肢があります。
そうした中で、その人自身が決めたことが全て正解であると思います。
結果が意図したことと違ってしまうこともあるでしょうけれど、そこからがまた生き方が問われ、悩みながらもそこで道を決定し、その時また人間としての魅力が増すのではないかと感じます。
子どもたちが
「何をしたらいいですか?」
「わーめんどくさい。」
こうした言葉が出るのも問題はない。
ただ私の今まであった意識をもう一度再考し、あらゆる接し方を試してみることが私自身の課題と考えます。
もし、その子の目が少しでもキラッと光ることがあったのなら嬉しい。
その嬉しさが、私の魅力に少しでもプラスされているのであれば更に嬉しく思うのです。
「それぞれがそれぞれの魅力を追求する」
今後ももう少し考えていきたいことです。