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花みち元気塾通信 2019年12月号「jyuku」その役割

「塾」ってなんだろう?


「塾」「じゅく」「jyuku」

私が塾に初めて行ったのは、高校になってからだったので、塾とは成績を上げるために勉強を教えてもらう、それが主な役割と考えていた。
子どもを育てていくうち、子どもを取り巻く状況に次第に疑問を感じてきていた私は、花まる学習会が目指す「メシが食えて、魅力的な人となる」と聞いて、「おもしろい!」「ここだ」と直感で感じた。

それから長い時間が経ってきた。
ただただ目の前にいる子ども達を見て少しでも力になれたらと夢中で毎日を過ごして来ただけではあるが、その毎日の積み重ねから次第にその子の持つ個性が見え、その子の先がほんの少し予想が立てられるようになってきた。

それを考えつつ、良いところはそのままに、改めるべきと感じるところは少しでも改善出来ることはないか試行錯誤で今もいる。
子どもが生まれ持っている能力は、それほど大差ない気がしている。
ただ違うのは、「今自分はどういった状況にいて、何をすべきかを把握する力」に差があるのではないか。
わずかなその違いが、何日、何年と積み重なり、大きな違いを生むではないか。
そう考えていくと、「今」を意識させていく大人の役割は見過ごすことはできない。

幼稚園、子ども園で保育時間に全員に授業を行なう正課授業では、いろいろな子に出会う。
ある園で出会った男の子。いつも一人でぽつんと席に座っていて、笑顔も無くじっとしている。
が、ブロックの問題になると、すばやく形作ることができる。
自由にブロックを作る時間、その子が形作ったものに、「何作ったの?」と私が聞いた時、その子は振り絞るように声を出した。
私は聞き取ることができず「え?」と聞いてしまった。もう一度その子は答えてくれたのだが、それも私は聞き取ることができず、笑って頭をなでるだけに終わってしまった。
今日初めての声だったのではないか?
何回も聞いては自信をなくすのではないか?
私はとっさにそう感じてしまった。

授業が終わった後、後ろを振り返ってみたら、その子は無言で私のすぐ後ろにいた。
声を出すことにちょっとでも自信がもてたのか?
それとも私に助けて欲しい、もう少し声をかけて欲しい、そんな気持ちを持ったのか?
私の心には、「たかが塾」という気持ちが今もある。
まずは学校でしょう、との気持ちが。
でも家庭でもない、学校でもない、だけど心を許せる場所、それがたとえ勉強するところと位置づけられていても、「居場所」と感じて子ども達が来てくれるのなら、それはとてもうれしく感謝することで、そのためなら私は力を注ぐことを惜しまずにいきたい、そう感じるのです。

藤井道子