私どもの塾には未就学児から高校生まで、受験コースも補習コースもフリースクール的なコースも集団も個別も、中には最難問にチャレンジするコースも公的機関から委託されている学習会もあります。
どこのコースに属していても、自分の生まれ持った良さを活かしながら、自信を持って学習していこうという指針に変わりはありません。
強制的な学習でなく、主体的に取り組めることが第一です。
元気に社会に飛び出していければ偏差値やテストの点数は関係ないのです。偏差値は合格したい学校を目指す際の基準のようなもの、テストの点数は何ができて何ができなかったかを確認するための参考となるものです。
とはいえ人は集団の中に属すると、比較やプライド、妬みなどの感情が生まれてくるものです。ましてまだ成人を迎えない子ども達にそれらを考えなくても良いと言ってもなかなかできるものではありません。
そこで学習に向かう際の気持ちの壁を取り外し、周囲の様子も気になることなく自由な気持ちで、自らの課題に取り組む新個別は力がつくことはもちろん安心と自信、明るさにまで繋がるように感じています。
私が取り組んでいる新個別は同じ学年が数人、異学年が数人いますが、皆目的が違います。一緒にできるところは協力して教えあい、それぞれの課題に取り組む時は自分の学習に向かい合う。休憩はみんなでそれぞれの興味やその日にあったことなどを話す。そしてまた時間まで学習に取り組む。終わった子は好きなものの作成や漢字の練習に取り組む。
私が数人一人で見ていますが、私が他の子に教えている時、質問があったり丸をつけて欲しい子はただ待っているのでなく、それが済むまでその先に進むか、またはもう一度考え直すか、自分の行動を考える姿勢でいます。学力だけでなく、周囲への子や私への気配りまで身に付くこのスタイルは競争や勝ち負けを考えず、その子が自分自身に向き合うことができる良い形だと思います。宿題をしなかった子が家で学習してみる。質問できなかった子が質問する問題を持って来る、学校では手を挙げたことがなかった子が手を挙げるようになる。
同じ枠の中で全員が同じことをし、その出来が評価されることに辛さを持っていた子達がそんなことで悩まなくていい、自分の力だけを考えれば良いと感じることができればその子の強さに変わる気がします。
不登校の子が増えていますが、そうした子たちはより敏感で繊細なので大人が評価していることを感じやすのではないかと思います。
大人だってこの先の世の中はわからない。それなのに今までの評価対象となる目で子どもを見ることが変わらずずっと続いている。人の社会の中で生きるために守るべき行動は大切にしながら、その子の中の良さが評価基準となることが子どもの心を自由にさせやる気を起こさせる。もしかするとこうした力はこれまでにない世の中の創造にもつながっていくのではないかなどといつも私は心の中で繰り返し考え、次は何ができるのかとワクワクした気持ちになります。こうしている時私の中にある比較やプライド、妬みなどの感情はいつの間にか消えているのです。