長い間たくさんの子ども達に関わっています。
なぜなら私自身、それがとても楽しく、ワクワクすることだからです。
何かを考えて子ども達と一緒に試してみることが私の喜びです。
その時々、その瞬間の楽しさは言うまでもありませんが、どんな子も時間を共にしていくと変化が見られ、それを言葉として表してみることもその楽しさの一つです。
多くの事柄には何かが起因していて、それは子どもの行動にも関わっていることも多いと思います。子ども達の保護者、保護者の保護者までいろいろなことが複雑に混じり合って、今この時の状況が偶然にも生まれていると考える時、私もほんのわずかな時間でもその子達の人生の瞬間を一緒に過ごせることはこの広い世の中にあってとても深い意味があるのかもしれないと感じます。
それを「出会い」というのだと思いますが、その出会いを少しでも良い印象にできたら、きっと心のどこかで思い出のかけらになってキラキラと輝けるかもしれないと思うのです。
この春長い子で12年間も見てきた子達が高校生になって飛び立ちました。どの子達も平坦ばかりの道ではなかったと思いますが、それでも皆明るく、熱心に学習して高校受験を突破して晴れやかに巣立って行ったことは私にとってとても嬉しい事でした。
最後の授業では「花まる。愛してる💌」とホワイトボードに書いてくれ、皆で記念写真を撮りました。
高校受験生だけではなく、中学受験生にもそれは同じです。
共にいる時間は短いかもしれませんが、小学4年生から6年生という成長には貴重な時間を一緒に過ごすと、多くのことに気づかされます。
4年生くらいまでは好きなことを話し、好きなことをし思いのままに過ごしていた子達が、次第に学習を通じて、自分自身の内面に対峙し、必要な時に必要な行動と言動に変わっていきます。
それは、自分と周囲の共存のバランスに気が付いたかのように見えます。
学習することは、基礎力、学力をあげることがもちろん第一かと思いますが、学習を通じて、自分とは何か、人とは何か、永遠に答えのでない哲学的なことを考えることにもつながると思います。
私も小学6年生の時に「なぜ自分はここにいるのか?」を感じて急に不思議な気持ちになったのを今でも覚えていますが、思春期には誰にでもあることかと思います。
そういった時、自分なりの軸で物事を考え、はっきりわからないことがあると折り合いをつけていくことも、その後の人生にプラスとなっていくことでしょう。
大人も迷うし、考える。でもいつも忘れないのは人への愛情。いろいろあっても楽しく生きる。
それを子ども達に身を持って見せることが大切なのだと思います。